略年譜 / 杉山寧・著「画作の余白に」より抜粋
Personal history & Reference

杉山寧 略年譜

杉山寧


1909 東京浅草区三筋町11番地で生まれる。両親は文房具店を営んでいたが、父親は早くに他界して母親に育てられた。
1922(13歳) 3月 浅草育英小学校を卒業(速水御舟も同校卒業)。
4月 東京府立第三中学校入学(現在の東京都立両国高校)。
1928(19歳) 東京美術学校日本画科に入学。
1931(22歳) 在学中に帝国美術院第12回美術展覧会(帝展)に【水辺】が入選。
1932(23歳) 第13回帝展に【磯】が入選して特選となる。これは第1部の中、最年少で話題となる。
1933(24歳) 東京美術学校日本画科を首席で卒業。卒業制作は【野】。松岡映丘主催の「木之華社」の例会に時折出席する。
第14回帝展に【翆蔭】を無鑑査出品。
1934(25歳) 第15回帝展に【海女】を出展して再度、特選となる。
松岡映丘門下の浦田正夫、岡田昇、安部貞夫、山本丘人と「瑠爽画社」と命名した作家グループを結成する。
1936(27歳) 篠原元子と結婚。小石川区雑司ヶ谷に住む。
第1回帝国美術院展覧会(東京府美術館)に【婦女群像】を出展する。
室生寺を訪ね、2週間ほど滞在して仏像を写生する。
文部省美術展覧会招待展(東京府美術館)に【慈悲光】を出展する。
1937(28歳) 長女瑤子が生まれる(1958年に三島由紀夫と結婚する)。
瑠爽画社第2回展(日本橋高島屋)に【馬(其一)】・【馬(其㈡)】を出展する。
第1回文部省美術展覧会(新文展)(東京府美術館)に【秋意】を出展する。
1938(29歳) 瑠爽画社の第3回展(銀座資生堂ギャラリー)に【七面鳥】・【烏瓜】(後に黒鶫と改題)を出展する。
長男章が生まれる。瑠爽画社が解散する。秋から胸を患い、鎌倉にて転地療養する。
1939(30歳) 病気が回復して雑司ヶ谷に戻る。
1940(31歳) 次女璚子が生まれる。
1941(32歳) 九皐会解散。法隆寺の壁画のスケッチのため京都、奈良、紀州を取材旅行する。
1942(33歳) 中国の旅順、北京、大同を旅行。雲崗石窟のスケッチのため半月間あまり雲崗に滞在する。
次男晉が生まれる。胸を患い再び療養生活に入る。
1943(34歳) 6年ぶりに第6回新文展に【大同霊巖】を出展する。
1945(36歳) 海軍に召集され、横須賀海兵団に出頭したが、即日帰郷を申し渡される。
しかし米軍の爆撃が激しくて、帰郷が出来ず、海兵団の防空壕で一週間ほど過ごす。
家族を疎開させていた、信州の戸倉温泉に行き、小品や素描を描いていた。
終戦を迎え東京に戻る。
1951(42歳) 東京美術学校卒業の杉山寧、加藤栄三、橋本明治、東山魁夷、森田沙夷(後に沙伊)、山本丘人を会員とする
未更会(兼素洞主催)を発足して展覧会を開催する。後に河合玉堂、高山辰雄、山田申吾が参加する。
第7回日本美術展覧会(日展)が東京都美術館に【エウロペ】を出展する。 
1952(43歳) 第8回日展に【自転車】を出展する。
1953(44歳) 第9回日展の審査員に任命される。第9回日展に【群像】を出展する。
1954(45歳) 第10回日展に【百合】を出展する。
1955(46歳) 第11回日展に【瀑】を出展する。
1956(47歳) 4月号から文藝春秋の表紙絵の原画を依頼され、受ける。
第12回日展の審査委委員長を任命される。同展覧会に【孔雀】を出展する
展覧会・杉山寧写生展を銀座・フォルム画廊にて開催する。
1957(48歳) 展覧会・杉山寧写生展を銀座・松屋にて開催する。
【孔雀】(1956年第12回日展に出展)に対して日本藝術院賞を授与される。
第13回日展に【耿】を出展する。
1958(49歳) 社団法人日展が発足して、評議委員および審査委員に任命される。
第1回新日展【鳥】を出展する。
1959(50歳) 第2回新日展に【仮像】を出展する。
1960(51歳) 第3回新日展に【灼】を出展する。
「未更会の10周年記念展」、銀座・竹川画廊にて開催に【蘭花】・【魚】を出展する。
宮内庁より東宮御所の新設計にあたり作品制作の依頼を受けて【静物】と【奏】を製作する。
1961(52歳) 第4回新日展に【林】を出展する。
1962(53歳) 第5回新日展に【黄】を出展する。展覧会・「杉山寧新作展」を京橋・兼素洞にて開催で【篠】・【柢】・【相】・【望】
【滄】・【萌】・【絡】・【明】・【群】を出展する。
11月から翌年2月までフランス、イタリア、エジプト中心に、ヨーロッパ各地の美術館および遺跡を訪ねて、多くの素描を描く。
1963(54歳) 第6回新日展に【悠】を出展する。
五山会(杉山寧、東山魁夷、西山英雄、山本丘人、高山辰雄による作品の発表の会)を発足し、
銀座・孔雀画廊にて展覧会を開催する。
1964(55歳) 第7回新日展に【穹】を出展する。展覧会・杉山のアトリエ展を銀座・資生堂ギャラリーにて開催される。
1965(56歳) 第8回新日展に【水】を出展する。
1966(57歳) 第9回新日展に【羊】を出展する。第1回日春展(会場は銀座・松屋)。
1967(58歳) 第10回新日展に【汐】を出展する。皇居新宮殿の豊明殿の絨毯デザインの原画製作にあたる。
1968(59歳) 第11回新日展に【気】を出展する。九州北部に点在している装飾古墳を訪ねて写生をする。
1969(60歳) 新日展が機構と人事を改組して、社団法人改組日展に改名。理事に任命される。
第1回改組日展に【晶】を出展する。福島県双葉町の清戸横穴に行き写生する。
1970(61歳) 第2回改組日展に【響】を出展する。
日本芸術院会員に任命される。
1971(62歳) 社団法人日展常務理事に任命される。第3回改組日展に【生】を出展する。
展覧会 『杉山寧展』 が渋谷・東急百貨店本店で開催される。
1972(63歳) 第4回改組日展に【暦】を出展する。
1973(64歳) 第5回改組日展に【曈】を出展する。展覧会・杉山寧文藝春秋表紙画展が銀座・文藝春秋画廊にて開催される。
1974(65歳) 日展審査委員、第一科審査主任に任命される(10月)。
第6回改組日展に【季】を出展する。
文化勲章受章。および文化功労者として表彰される。
1975(66歳) この年以降は、日展に不出展を決意する。
1976(67歳) 日展に退会届け提出して受理され、日展顧問として携わることになる。
1977(68歳) 展覧会・杉山寧展「エジプト幻想行」が銀座・松屋にて開催(11月)される。
上村松篁、杉山寧、高山辰雄、東山魁夷、山本丘人で白虹会が形成されて展覧会が京橋・兼素洞で開催される。
1978(69歳) イラン、トルコ、エジプトへ旅行(4月上旬から5月下旬まで)。
イランではペルセポリス、トルコではヒッタイトの遺跡やアナトリアのカッパドキア高原を取材し写生をする。
パリで2週間過ごし帰国する。
1979(70歳) 展覧会・杉山寧素描「エジプト幻想行」を新潟市小林百貨店で開催される。
1980(71歳) 3月中旬から4月中旬にかけて、ギリシャへ旅行して、数多くの素描作品を描く。
1981(72歳) 8月上旬から9月上旬にかけて、トルコのカッパドキアへ旅行して写生をする。
1982(73歳) 「文藝春秋60周年記念杉山寧文藝春秋表紙装画全展」が日本橋・高島屋にて開催される。
日本芸術院の春季会員総会において、第一部長に選出される。
1983(74歳) 3月末から4月中旬にかけてイタリアへ旅行。エトルリアの遺跡、シシリー島を訪ねて素描を描く。
日本芸術院の春季会員総会において、第一部長に再選される。
1984(75歳) 8月から9月にかけてトルコ、イタリアに旅行。
展覧会「杉山寧ギリシア・エトルリア素描展」が、八重洲・サカモト画廊にて開催される。
1985(76歳) 12月から翌年の1月にかけてエジプト、イタリアを旅行して素描を描く。
1986(77歳) 日本芸術院第一部長を任期満了にて退任する。44年ぶりに中国を旅行。
北京、大同、敦煌、西安を取材し写生をする。展覧会・杉山寧日本の美を描く作品展が八重洲・サカモト画廊で開催される。
12月から翌年1月にかけてイタリアへ旅行して素描を描く。
文藝春秋の表紙画の原画製作を12月号で退く。この原画は、1956年4月号から開始して総計369点になった。
1987(78歳) 8月に『杉山寧展』が東京国立近代美術館で開催される。
今までの代表作にカッパドキア、雲崗、敦煌、などで取材し描かれた大作を含む新作20点も展示された。
『杉山寧展』が富山県立近代美術館で開催される。
1988(79歳) インド北部ラジャスタン地方を旅行して素描を描く。
1991(82歳) 10月東京都名誉都民を授与される。
1992(83歳) 1月に展覧会・「杉山寧の世界」展が東京美術倶楽部で開催される。
1993(84歳) 10月20日心不全にて他界する。従三位に叙される。

〔略年譜は、2013年「悠久なる刻を求めて 杉山寧展」および他の展覧会カタログを参照して2020年杉山晉が監修:〕

杉山寧の没後の展覧会

1996 展覧会『杉山寧展』が 松坂屋美術館、なんば高島屋および日本橋・高島屋にて開催される。
展覧会「杉山寧―素描と本画」展が富山県近代美術館で開催される。
2010 展覧会「ポーラ美術館の日本画展」箱根・ポーラ美術館で開催される。
2011 展覧会「日本画の巨匠三山展」富山県立近代美術館で開催される。
2013 展覧会『杉山寧展 悠久なる刻を求めて』が日本橋高島屋、名古屋松坂屋美術館、京都高島屋、横浜高島屋で開催される。
2015 6月 「日展三山-東山魁夷・杉山寧・高山辰雄」 長野県信濃美術館東山魁夷館で開催される。
2015 7月 「東山魁夷館25周年記念「東山魁夷・杉山寧・高山辰雄」」長野県信濃美術館東山魁夷館開催される。
2017 10月 展覧会「杉山寧展」京橋・孔雀画廊で開催される。
2017 10月~ 展覧会「日本画山脈」展 岡山・新見美術館、広島・蘭島閣美術館、佐賀・唐津市近代図書館美術ホール、
愛媛・八幡浜市民ギャラリーで開催される。
2017 12月 展覧会「日本画三山」 杉山寧・高山辰雄・東山魁夷 表紙絵の世界とデザインの魅力 市川市東山魁夷記念館で開催される。
2019 9月 展覧会「珠玉の吉野石膏日本画コレクション花開く日本の美」香川県立東山魁夷瀬戸内美術で開催される。
2019 10月 展覧会「アジアのイメージ 東洋の憧憬」東京都庭園美術館で開催される。  (他多数)

「画作の余白に」(杉山寧・著)より抜粋

1988年 ㈱美術年鑑社・発行


私のスケッチブック

・・・スケッチするときは、すべての雑念からはなれて純粋に自然に接し、そのものの本質を探究し、自分自身で納得するためのものとしてスケッチをします。ですから、その物への感興も、そのスケッチだけで終わることはなく、またそのスケッチを具体的にどのように役立てようというのでもない。どこまでも自分のためのものであり、自分自身の積み重ねのつもりでやっています。したがって、対象をあらゆる角度から納得するまで写生するようにしています。その積み重ねが制作のための準備になるのです。

エジプト画信

私が、古代の美術に心がひかれるようになってから既に長い。何千年も生き残ったものには、ゆるぎない美しさ、注釈を必要としない訴えがある。だからエジプトでの3週間あまりは、すばらしいものだった。古い物のみが持ちうる、確かな手ごたえを、手のひらの中に摘み取るような気がした。・・・
カルナックやディナハブまたはアブシンベルの巨大な神殿、たとえそれらが王の政治的な威信誇示のために造られた物だとしても、人生や宇宙を信頼することが出来た時代の芸術だけが持ち得る真実さと切実さにあふれている。博物館に持ち運ばれた作品個々の美しさより、たとえ破損していても幾十世紀の間、自然の中に置かれた神殿や墓に一層大きな夢と美を感じる。
カイロ郊外、十いくつかのピラミッドが点在するサッカラの砂漠を歩いていた時の、その強烈な印象は忘れられない。冬だというのに、頭上には目のくらむような太陽が輝き、足元には焼けついている砂がある。古代エジプト人が「永遠」を信じ、それを石に刻み残そうとしたのも、この太陽と砂と、限りない空間のせいだったのかもしれない。

・・・一番好きなのは、やはりギザのピラミッドとスフィンクスの一群のあたりである。多くの人は大きさ以外あまり認めないようだが、スフィンクスは風化し、鼻がかけ、ナポレオンの軍政の射撃の的にまでなったのだが、完全でないだけに、顔一つとっても一種の想像を働かせる余地があるし、大自然の中に建っていた時間による変化も美しい。残っている物の中でも最も古い方だし、私は一番興味あった。朝に、昼に、晩にと、しばしば見に行ってスケッチをした。


乾いたものにひかれる

いつの頃か、夜中に仕事をする習慣がついてしまっている。調子が出てくるのが夜九時頃か十時頃で、そのまま仕事を続けて明け方までになる。普通の人が働いている時間は眠っていて、夜の7時ごろ起きだす。 私の仕事のやり方は、方々歩き回って自然の一部を切り取って描くのではなく、自分が創った空間に、心に残っているものの印象を表現するわけだから、目の前には、他の自然物が見えない夜の方が、都合が良いと言えるのかもしれない。・・・


画集「杉山寧;随想」

私の絵の主題は、時には風景になり、また植物や動物、人物にもなる。しかし、いずれの場合を取ってみても、描く姿勢には少しの変わりもない。

私は、目の前に存在している対象物にひかれて、描く事はほとんどなかった。
まず心に潜在しているイメージを基にして、自然の姿を求めることになる。
したがって、特定の風景を描くことはないし、従来のいわゆる純然たる風景画を描こうとも思わない。言ってみれば、心象の風景こそ私の世界なのである。

心象の世界を推し進めてゆくと、自然に具体的な物の形がうすらいでいった。
ある人は、この時期の作品について、私の仕事が抽象化したと言い、また、それらは象徴的な表現になったとも指摘した。
だが、私は具象とか抽象とかいう観念に取らわれたくない。この抽象的な作品と呼ばれる一群の仕事についても、いつか自然から受けた感動を基に出発しているからだ。
・・・私は動物や植物を通じて、宇宙の広がる自然の美しい神秘性を表現したいからで、自分が夢みるその空間に、心の中の動物あるいは植物を借りてくるだけに過ぎない。
そんな時、以前に写生したものが、私の心の中に蘇ってくる。描き上げられる画面の構成は、その絵のために新しい秩序を創り出しているつもりである。

近年、私は繰り返して裸婦を主題にした作品を描いた。しかし、特に人物だけに興味があったわけではない。新しい空間構成を生み出そうと考えていた時に、その要素として、裸婦のイメージが心に沸いてきたのである。むしろ構図だけが先行して、それにふさわしい裸婦のポーズが決定されたと言えるであろう。

絵画は、決して実在するものの再現ではない。
実在するもの以外の生命感を持って訴えかえるものが制作できなかったら、描く意味はない。

私の絵を見て、ある人が語った。「あなたの表現は、時間的に静止している」と、無意識のうちに私は永遠性を求めているのかもしれない。
同時に、その描く空間に、限りない拡がりを持たせたいと希望する。

私は、古代の美術品を鑑賞するのが好きである。
それに人間の本来の姿、なにものにも拘束されない原型が存在しているように思われるからだ。
そこには永遠性がある。自由で無限の広がりがある。
私は、その雄勁な表現を新しく自分のものにいたいと念う。